ミーティング議事録

高麗宮司による登山家 田部井 淳子さんについてのお話

田部井さんは生前、日和田山始め低い山を中心に女性のビギナーをつれた登山をしていました。今、女性の登山愛好家が増えたのも、こうした努力があったからだと思います。

以前もお話しましたが、田部井さんは、女性で初めて五大陸最高峰を全て制覇した偉大なクライマーですが、一方で低山の魅力を説き続けた、伝道師でもありました。晩年は被災地支援の一貫で、福島の高校生の富士登山を企画し、毎年百人前後の高校生に富士山を体験させています。千人に到達するまで続ける志は、今息子の進也さんに受け継がれています。コロナにより実施できない年もありましたが、現在は再開されています。

この高校生富士登山の驚異的なところは、今までただの一人も落伍者を出していないところです。運動があまり得意でなかった田部井さんが、登山の魅力にとりつかれたのは、登山は競争ではない、自らのペースで一歩一歩進めば必ず頂上にたどり着ける、と知ったからだったそうです。

そんな田部井さんが、エベレスト始め、五大陸の最高峰を誰よりも早く制したのですから、面白いものです。最もエベレスト登山の時には、キャンプで就寝中に雪崩に襲われ、そこにいたパーティーは全滅かと思われたほどでした。運良くシェルパのキャンプは免れたため、彼らの必死の救助で雪の下から掘り出されたようです。この時、メンバー4,5人は縦に埋まっていたようで、一番底にいたのが田部井さんだったとのこと。

登山断念を伝えた隊長に、絶対登ると抵抗し、痛む身体をおして計画を続行させるに至ったと言う、何ともど根性な方でもあったようですね。

晩年、日和田山を旦那さんと毎月訪れ、病をおして登っておられました。今日も登れた、まだ登れる、そんなことを確認ながら、車の後部座席に寝たまま行き来していたそうです。

登山ビギナーには、自分の山を持ちなさい、と説いていたそう。この山のことなら何でも知っている、と言う位山を愛して欲しいと思っていたのでしょうね。日高を訪れた小学生達の中で日和田山は私の持ち山と思ってくれる子が一人でもいてくれたら嬉しいですよね。

と、本題から大きくずれた長話失礼致しました

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